きっかけは「駅からハイキング」
ただ今、JR東日本で開催されている「駅からハイキング」というキャンペーンで頂いた小冊子。「真鶴歴史探索地図」の中で紹介されていた文学作品を読んでみようという企画です。前回は芥川龍之介の有名作「トロッコ」を取り上げましたが、今回は志賀直哉の作品です。
タイトルはそのものズバリ『真鶴』……志賀直哉と言えば受験で「志賀直哉=暗夜行路」と暗記させられたぐらいで、作品はひとつも読んだことはありませんでした。「トロッコ」とは違って『真鶴』という作品が存在することも知りませんでした。
純文学といったら、現代の大学生(であることを言い訳にしてはいけないと思いますが)はほとんど縁がないのではないでしょうか? 読み慣れていない私がご紹介しても、拙いナビゲートにしかならないと思いますが、作品とその背景を今回もご案内していきましょう。
『真鶴』志賀直哉
こちらも短編です。あいにくこの作品は無料で読める「青空文庫」にアップロードはされてません(著作権は切れているはずですが)。志賀直哉全集のようなものや、新潮文庫の「小僧の神様、城の崎にて」には収録されています。またはAmazonがサービスしているAudibleでも視聴可能。
物語は12〜13歳の少年を主人公にして、思春期の成長が象徴されるような1日を描き出します。弟と小田原まで下駄を買い出しに行く年の瀬の1日。海を望む道中の描写と、松飾りが出た町の喧騒がコントラストとなって、時間も過去と未来を往復し、短編ながらその時空の広がりに目眩を覚えるような、不思議な感覚に包まれます。
しかし筋立てはシンプル。テーマ性を持つ小道具は波間に揺れる小船と水兵さんの帽子……この2つだけ。小船は思春期の入り口で芽生える微かな「恋心」のメタファーに。水兵帽は屈強な海兵に惹かれる少年の「憧れ」のシンボルとして。どちらも海にまつわるアイテムでありながら、またもやその対照性が際立ちます。
ほんのすこし前までは「恋」なんて考えもしなかったものを。屈強な叔父に憧れて、水兵帽を衝動買いまでしたものを。小田原の町で見かけた法界節(ほうかいぶし)の女性に目を奪われて、疲れた弟を背負いながら帰路につく。小田原から真鶴までの長い距離を、自省と妄想に駆られながら……。
作品に描かれる真鶴
まず冒頭から戸惑ったのは「伊豆半島の年の暮れだ」という書き始まりです。あれ? 真鶴のお話じゃないのかな? と疑問を持ちながら読み進めると、この「伊豆半島」と呼ばれている物語の舞台は、どうやらわが町「真鶴」のことらしい。最後まで読み終えてもう一度、2度目を読み直してみても、やっぱりそうです。この「伊豆」と呼ばれているのは真鶴です。
作品が発表されたのは大正9年(1920)年。作中に熱海〜小田原間を走っていた軽便鉄道が登場しますので、時代設定としては前回の芥川龍之介『トロッコ』より後になります。軽便鉄道の工事のために使用されていたのが、そのトロッコなのです。
作中に登場する地名としては、先述した通り「小田原」……中でも二宮尊徳を奉る神社とあるので、今の「報徳二宮神社」あたり。それと少年が水兵に憧れるきっかけとなった叔父さんが「根府川の石工」であること。そして「真鶴」。少年と弟が、歩いて真鶴と小田原を往復していて、これもびっくり! 小田原まで徒歩でお買い物に行ったことありますか?
私の感想
感想としてはまず、「真鶴」というそのものズバリのタイトルの作品があることに驚き。川上弘美さんによる同タイトルの作品「真鶴」の存在は知っていましたが、大正の純文学、文豪の作品にもあったのですね。不勉強ですみません(川上弘美さんの方も未読だし)。
そしてなぜこの作品が「真鶴」というタイトルになったのかも不思議です。メインの舞台は小田原。そして真鶴に帰ってくるまでの早川、根府川あたりの道が物語終盤のクライマックスとなる舞台。真鶴は少年の住所、帰る家が存在するだけで、そこでの描写はほとんどないのです。